祖父との思い出

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祖父との思い出

キラキラと凍った雪の上に撒かれた節分の豆。
私の祖父との節分の思い出です。

 

父も母も祖父と一緒に町工場を経営していたので、私は学校が終わるといつも工場に帰っていました。
木造の工場はとても古くて、ギシギシと音を立てる階段なんかは登るのが怖かったです。

 

祖父の住まいもその工場の片隅にあったのですが、祖母は私が物心つく前に倒れていまして右半身が不随でした。

 

祖父は俳優にもなれるような今で言うイケメンでしたが、祖母を毎日介護しお風呂には抱えて入れてあげていたんですよ。
子ども心に「おじいちゃんは大変だなぁ」と感じていました。

 

祖父との思い出

工場の経営もなかなか大変そうで、「ウチは貧乏なんだ」と言われなくてもわかっいて、小学校の内ズックが破れても親に「新しいズック買って」とも言えず、少し屈折した気持ちを秘めた小学生でした。
でも祖父の事はとても自慢でした。

 

「とにかくカッコイイ」「歳のわりには背が高く、背筋もピンと伸びているな」「東京生まれで標準語がしゃべれる(笑)」等々。
小学校4年生の冬、私の母は貧血がひどく、入院していました。

 

自宅は工場と目と鼻の先にあり、夜遅くでも行き来できる距離にありましたので、時々祖父の部屋で寝泊まりもしていました。
ちょうど節分の日、祖父はスーパーで節分の豆を買ってきてくれて、「豆まきをしようね」と笑顔で言いました。

 

夜、工場の外にでましたが、外は雪が1mくらい積もっていて、身も凍るくらい寒い冬の夜でした。
でも元気に「鬼は〜外、福は〜内」と豆を力いっぱい投げ、袋に残った豆を食べたものです。

 

祖父のお陰で私は母がいなくても寂しくなかったですね。





祖父との思い出

次の日、朝起きてみると外の雪はキラキラと凍っていました。

 

昨日豆撒きをした所に行ってみると、なんと豆はその凍った雪の上に沈まずに乗っかっていたのです。
綺麗な雪の上の節分の豆。

 

「凍っているから乗れるよ」と祖父はその凍った雪の上に私を持ち上げ、乗せてくれました。
凍った雪は見事に私の体を支えてくれて、私は歩き回ったりしてはしゃいでいましたね。

 

雪国ならではの遊びです。
今でも雪の上に私を持ち上げて乗せてくれた祖父の姿を思い出す事があります。
大変な人生を送った祖父。

 

今思うと苦しい生活の中で私を大事に思ってくれていた祖父の暖かい気持ちがよく分かります。
既に亡くなった祖父との大切な思い出でなので、一生忘れず大切にしたいと思います。
ありがとうございました、おじいちゃん。